以下は平成26年「歴史読本」9月号に掲載された「新説・異説 私はこう考える」【江戸の北極星信仰】=桂昌院によって完成した、江戸の都市を守護するプランの真実とは=と題するもので、帯広市の真宗大谷派「順進寺」坂谷徹念住職によって書かれたものです。

江戸の町奉行の支配する町地にあり、朱印地が30石以上の神社は表1の通りである。
上野東照宮は寛永寺と合わせて考える。根津神社は家宣(
いえのぶ)の産土神(うぶすながみ
であり家宣の江戸入城にあたり家宣の屋敷地であった現在地が献納された。
白山(
はくさん)神社は綱吉(つなよし)の屋敷を建てるために現在地に遷宮させられた。
いずれも将軍の屋敷がらみの移転であり、鬼門封じの色合いは薄い。また氷川神社が移転し
たのは吉宗(
よしむね)の代であり、都市計画の骨格はすでに固まっていた。
よってこれらの神社は対象外とした。

同住職によりますと、2年間に亘る研究成果を投稿して掲載された、との事でした。そのご労苦とご努力に対しまして深甚なる敬意を表するものであります。

江 戸 の 北 極 星 信 仰

  また、江戸の都市計画で忘れてならないのは家光(いえみつ)の側室であり綱吉の生母である桂昌院(けいしょういん)の存在である。家光の都市計画への情熱を大奥において日々感じていたが、家光は48歳で早世した。しかし、なんとしてもその思いを遂げてあげたいという気持ちは変わらなかった。家光が亡くなって29年経ったときチャンスがやってきた。実子綱吉(つなよし)が将軍位に就いたのだ。桂昌院は至孝な綱吉を動かし、護国寺、藏前神社を創建した。どちらも桂昌院の私的祈願所のように言われているが間違いだと思う。それは天海と家康(いえやす)、秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)が描いた都市計画の宗教的要、北極星、北斗七星を完成させるためだったのではないだろうか。
  私は以上のことから、増上寺、愛宕神社、日枝神社、神田明神、藏前神社、浅草寺、寛永寺が北斗七星、護国寺が北極星にあたると考える。

徳川幕府(江戸幕府)は江戸城の守護と江戸の都市計画にあたって、古来より信仰の対象となってきた北極星ならびに北斗七星の力を重用したようであります。

   神社名       朱印地石高  現在地移転時期
上野東照宮  1331石  1627年
日枝神社  100→600石  1659年
根津神社  500石  1706年
藏前神社  200石  1693年
氷川神社   200石  1716年
愛宕神社  100石  1603年
神田明神  15→30石  1616年
白山神社  30石  1655年

愛宕神社防火の神様であり、防災上江戸にとって極めて重要な神社であった。ほかもすべて江戸の守護神、祈願所として大切な神社であった。
では寺院の方はどうであろうか。朱印地が500石以上は表2の通りである。
増上寺は徳川家の菩提寺であり、ほかいずれも幕府の祈願寺として極めて大事な寺院であった。

私は二つの視点から寺社を選んでみた。一つは領有所持する朱印地の石高であり、もう一つは現在地に遷座、寺社建立に至った経緯である。幕府の力の入れ具合と幕府の宗教政策の流れを見ようとしたのである。

 寺院名  朱印地石高  現在地移転時期
 寛永寺  2100→11790石  1625年
 増上寺  1000→5000→10540石  1598年
 護国寺  300→600→1200石  1681年
 浅草寺  500石  645年

江戸の都市計画にも北極星、北斗七星の力が重用されている。単純に鬼門に神社仏閣を建立するだけでなく、神社仏閣が北斗七星状になるように計画を練ったのだ。

表2

藏前神社ホームページ(トップ)
藏前神社HP
由緒沿革
切絵図
境内
万年青品評会
勧進大相撲
奉納力持
江戸の北極星信仰

どの寺社が星に該当するかについては諸説があるが、最近では平清盛(たいらのきよもり)に関連する神社がパワースポットとも絡んで話題になっている。しかし、都市計画をリードしていた天海(てんかい)は天台宗の僧であり、天台宗の優越性を人一倍信じていたのである。その天海が神社だけで北斗七星を構成したとすることには無理がある。

北天にあって動かない北極星、そのまわりを回る北斗七星は宇宙を支配する神とその乗り物として古来より信仰の対象となってきた。その信仰はわが国の仏教や神道にも取り入れられ、星を祀り、護国鎮守、除災招福の祈願がおこなわれてきた。

表1

江戸名所一覧双六
役員一覧
本社神輿1
本社神輿2
本社神輿3
本社神輿4
朱引き
藏前神社睦
落語
落語案内板
落語元犬像
池波正太郎
厄年一覧表
四季の草花
御祈祷執務時間
案内図
リンク集
御朱印社領
社格制度
九気性(星)
氏子区域